関昭典の研究室#18(異文化交流プログラム)
以前(4~5年前)、JICA地球ひろばの公式ブログに「人生における心の支え」と題して寄稿し、以下のように書いた。
人は困難に遭遇し身動きが取れなくなったとき、過去に積み重ねた感動を心の拠り所に生き抜いていけるのだと私は考えている。私は教育者として、出会った若者たちに人生を生き抜く支えになる感動を与えたいと常に考えている。ではこの私に何ができるのか。その答えがAAEE,アジア教育交流研究機構にあり、これこそが私のできる社会貢献、国際協力なのである。
(https://partner.jica.go.jp/ColumnListView?cat=ColumnList2017¶m=news_483)
ここに「感動」という文字が繰り返し使われている。
読者の皆様には知っている方もいるしれないが、僕はある時期から言語教育から転換して「学生主体の異文化間交流活動」に力を注ぐようになる。
なぜ僕は今このような活動をしているか。
一言で言うと「学習者に感動を与えたい」からだ。
今回の内容は企業秘密をバラすことになってしまうかもしれない。なぜなら、これから記す内容は、僕が代表を務めるアジア教育交流研究機構(略称AAEE、非営利型一般社団法人)で構築したメソッド(AAEEメソッド)に基づいているからだ。この活動を一つの「商品」に喩えたとしたら、今回のメインテーマである「感動」は商品価値を生み出す心臓に当たるようなものだからだ。
だが、もはやこのメソッドを使って他者と競う気もないし、むしろAAEEメソッドを使ってもらうことで人生が変わる人が出ればいいかなという境地に至っている昨今である。
AAEEの活動内容については➡https://note.com/multiculturalism/n/n36bec34d0aa0
勤務校での経験を例に取って記す。
東京経済大学に赴任して2年目からリベラルアーツ教育を担う「21世紀教養プログラム」を担当し、ネパールなどに学生を連れて行いくも、学生と僕で見ているものが違ったことについては前回の記事で触れた。僕は学生に「貧困」などを知ってもらいたいという意図だったが、学生は食事や水に熱中するなど僕の意図からは外れて多様だった。まるで馬の乗り手の意図している方向と、馬の駆ける方角が異なるようなほどの「意図はずれ」だった。しかしまるで突然馬が乗り手の期待を超えて全速力で目的地に疾走を始めるが如く、帰国後の学生たちはなぜかほぼ全員が「言語学習」に傾倒し始めた。そして、そのモチベーションに当たる「にんじん」は何かというと、学習開始の動機が現地の人々との交流を通じた「感動」にあることが推測できた。
そのことをしっかりと確かめた上で、「感動を引き起こす」仕組みを考えれば、“交流を通じた学びの構築”理論として成立させることができるのではないかと漠然とながら考え始めた。少なくとも僕が引率した学生の「感動➡その後の言動の変化」は、ほぼ100%の確率の想定する通りに推移していた。
ところで、そもそも「感動」とは何か?
実際に取り組んだ過程を詳細に辿ると助長になってしまうので、ここでは結論から書く。
辞書などで概念的な理解をする事はあまり役に立たなかった。脳みそに汗をかくほど自分の頭で考えて思いついた内容が役に立った。僕の性格的におそらくそうなのだろう。
僕にとって感動とは「人のそれまでの経験値に新しい要素がくっつくこと」だった。新しいものがくっついたその瞬間に、その人は心が大きく揺れ動かされる。それが僕の考える感動である。
くっつくという言葉が弱ければ小惑星同士の衝突に例えても良いかもしれない。恐竜の生息した太古の地球に隕石が衝突して(くっついて)、地球環境がガラリと変わって新たな生命が生まれたという。まるでそのような隕石の衝突に相当するかのような、「新たな時代の開始点」になり得る変化のきっかけ。それが「感動」の正体だ。
いったん話は逸れるが学習の基本に「notice(気付き)」というものがある。何か新しい概念を言葉で伝えられても、学習者は本当の意味で理解できていないことがある。知識として知っていたことがある時「はっ」と腑に落ちる瞬間がある。その「notice(気付き)」が学習者にとっての成長の一歩である。「感動」とは「notice(気付き)」がより強力な形で現れたものだと考えている。
「notice(気付き)」は一つ気がついたら終わりという事はない。「チリも積もれば山となる」「雨だれ石を穿つ」という諺もあるように、10つ100つと山のように積もった小さな気づきの積み重ねが学習者を成長させる。
一方感動とはもっとダイナミックなものだ。「感動」をきっかけに学習者の世界の見方が大きく変わる。
「交流を通じた」感動体験➡動機づけアップという仕組みができればいい。
この仕組みを構築するためにまず手を付けたのは、「異文化コミュニケーション」について真剣に検討ですることであった。この分野に関しては興味本位でいろいろと調べてはいたが、腰を落ち着けて考えることまではしていなかった。そこで今から12年ほど前からじっくりと考え始めた。異文化間交流活動という独特な場面の目に見えない心の動きを探る作業。難しいが探るだけの価値はあると思った。
僕が目を付けたのは「深層文化(Deep Culture)」という考え方(Shaules, 2007)。異文化環境に身を置いた人間が数年(数十年)に亘って辿る心の変容過程を詳細に説明した理論だ。1950年代に提唱された有名なカルチャーショックの「Uカーブ」曲線を進化させたものである。
ここで「Uカーブ曲線」(Lysgaard,
1955)をとりあげよう。相手文化に適応するには数年間をかけて「ハネムーン期→カルチャーショック期→適応期」の三段階を経るという仮説だ。
この理論をネパールプログラムに当てはめたら、何かしっくりくる説明ができた。そして、カルチャーショック➡受け入れる、という心の動きの中に「感動」を絡めることはできないものか、超真剣に考え始めた。
それ以来、異文化交流活動の度に、計画段階からプロジェクトの全体像をイメージしてノートに書くようになった。目の前に全体像を視覚化するため、デザイナー用の、1ページがA3の大きさの大きなノートに見開きをひろびろ使って書き込んだ。
プログラム中も、早朝や深夜、密かにスーツケースから取り出した「巨大ノート」から誰にも見られないよう取り出し、思いついたことをすべて必死に書き込むときの集中力は、好きなことに没頭する正に「フロー」状態であった。書く内容は時系列に沿った滞在期間中のイベント、そこで何が起こったのか、参加者それぞれの性格、発言、表情すべて。更には、過去に参加した学生の状態とも照らし合わせる。
一晩で何億ドルも儲ける百戦錬磨のギャンブラーはわずかな筋肉のこわばりや表情の変化から、対戦相手の心理を(相手以上に)掌握するという。プログラム期間中の僕もまるで数億ドルのチップをかけたギャンブラーの如く、(笑顔で学生と雑談しながら)学生の僅かな感情の変化に学生以上に敏感に感じ取れるように集中力の刃を研ぎ澄ましている。
緻密な分析から一つ分かった事は「感動した瞬間に、本人はそれを自覚していることばかりではない。」ということだ。
ただ客観的な観察者である僕は、まるで世界トップレベルのポーカープレイヤーが相手の手札を透視するが如く、学生の感情の機微を「この学生はそろそろ感動する」と高い精度で予測することができるようになった。後で①直接聞いてみる、②事後報告書(帰国後に学生に書いてもらうレポート)を読むことによって、どのタイミングで学生が感動していたのかをさらに確認することができた。
その頃までには、(少し神がかっていると思うかもしれないが)学生が感動する予兆を体感するようになった。具体的には・・・鳥肌がたち、“ブルブル”と震えがくるのである。この震えがくると、その後まもなく「感動」の瞬間が訪れた。
ということで、鳥肌が立つための仕掛けを戦略的に検討し始めた。その戦略は1つ2つではいけない。僕はこの道の素人なのだから、10個以上の大量の仕掛けを投入して当たるのを待つ。高校教諭だった頃の「動機づけ」戦略と同じ考え方。すると、10個の仕掛けの内、1つだけではなく、2つ3つと同時にハマったときに鳥肌が立つことが経験則となった。日本の夏の風物詩とも言える大花火大会では、クライマックスに何個もの花火を連鎖的に打ち上げることで来場者の心に激しい感動を与えるが、「連鎖させることで感動のボルテージをあげる」行為はそれとイメージは似ているかもしれない。単発で仕掛けという花火を「バン・・・」と爆発させるのではなく、学生の心を夜空に喩えるとしたら、夜空を埋め尽くすほどに「バン!バン!バン!」と連鎖させることが大切なのだ。これ以上ここでかくと、もはや読者が“不気味”だとドン引きしてしまうかもしれないので、一旦流れを切る。
仕掛けの例を一つだけ。
交流中の食事は、基本としてネパール人と日本人で隣り合って座るような座席配置にしておく。これは仕掛けの準備段階。その状態で何度か食事を繰り返すと学生がいろんな“症状”を示すようになる。その症状に合わせて、いくつもの仕掛けを調合した“クスリ”を投入し、また結果を観察。その繰り返しだ。集団力学(グループダイナミクス)を活用させてもらっていることも一言加えておく。集団力学とは「集団における、人の行動や考えは、その集団の影響を受け、集団に対しても影響を与える」という理論でレヴィンという学者が提唱した。
ここまで記したようなことはすべて、僕自身の心の奥から湧き出て来る興味に関すること。さらに目の前にいる自分の知っている学生たちが変容していくのは嬉しい。だから、これに関する活動に従事している限りにおいてはどれだけ作業量が増えても全く疲れを感じない。寝る間も惜しいくらいだ。オリンピックに出るマラソンランナーはゴール直前になってもドーパミンがドバドバ出て「(つらいはずなのに)もっと走りたい!」と驚嘆すべきやる気を発揮するが、交流プログラムで(辛いはずなのに)全く疲労を感じない僕の脳味噌も、まるでフルマラソンを走っているオリンピック選手のような状態なのかもしれない。
「私の履歴書#3(インドネシアでの原体験)」
(https://akinoriseki.blogspot.com/2020/04/blog-post_17.html)にて僕が高校生のときに、自分自身がインドネシアで異文化交流をして感動をした経験を書いた。あの時の気持ちが本物だからこそ、「感動」の仕組みを暴いてみんなと共有したいという現在のモチベーションにつながっているのだろう。
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