2020年8月4日火曜日

関昭典教授 私の履歴書#13(新潟の短期大学教員)

 新潟県立の高校から、目と鼻の先にある新潟県立の大学に採用が決まったのは5月下旬のことだった。

 4月採用が多い日本社会において、僕が短大教員に採用されたのは夏休みの最中だった。本当は71日採用の人事。しかし、7月は高校の定期試験の最中。流石に、高校側に失礼だとの判断で、81日付の流れになったのだ。

 余談になるが、私は春にJICA主催の「夏季、高校教師ザンビア派遣プログラム」に合格しており楽しみにしていたが、高校教師を退職したことで参加資格を失ってしまったのは残念だった。

 その短大での僕の当初の担当はLL教室管理だった。ちなみにLL教室とはランゲージ・ラボラトリーの略語で、オーディオ、ビデオ、コンピュータなどの機器を使って外国語を学ぶ教室のことだ。のちにコンピュータが導入されてCAL(コンピューター・アシステッド・ランゲージ・ラボラトリー)へと名称が変更された。

 ヘッドセットをつけて英語のネイティブの発音を聞いたり、自分が発音したものを録音したりできる当時の英語学習では最新鋭の設備だった。僕の前任者はLL教室を管理する事務職だった。しかしその業務は専門知識を有するものであると判断され新しくできた教員ポストであった。

 8月という中途半端な時期に採用されたことで、その年に受け持つ授業は一コマもなかった。せっかく半年も時間ができたのだ。無為に時間を浪費するのではなく、次年度からの学習指導の一助となるような準備をしよう。そんな決意から僕は、在籍する英文学科の生徒たちに意識調査を実施した(アンケート調査とインタビュー調査)。何よりも現場の生の声を知りたかった。調査を始める前のワクワク感は今でも覚えている。この短期大学はとても優秀な生徒が集まることで有名な学校だったからだ。

 しかし、インタビューが終わる頃には「予想外」に直面していた。まだ学生たちの「お兄さん」と言っても通用するほど若かった僕は、学生の本音を引き出せるように笑顔と最強の人当りのよさでインタビューとアンケート調査を敢行。

 「何か英語学習で困っていることはない?」「なんでも言ってね」

 その結果、集まってきたのは文句、文句、文句。生徒たちは口を揃えて文句の言いまくりだった。なぜ自分たちが英語を話せないのかという言い訳に、先生や授業を槍玉にあげて異口同音に批判した。

 「面白くない」「実践的でない」「一クラスの人数が多すぎる」というのが典型的な意見だった。「私たちは英語が話せるようになりたくて英文科に入ったのに」と恨みがましい声すらあった。(ちなみに、先生方は大変素晴らしい方々ばかりでした。誤解なきよう。)

 僕はそこで耳にした学生たちの生の声を「学習者の視点」というタイトルで研究紀要論文にまとめた。

 そして、あっという間に半年が過ぎ、新年度を迎えた。僕がの赴任と共に新たに開設された「資格英語」と言う科目。授業内容は完全に僕に任されていた。

 その頃まで長らくの間、英検が英語教育界を支配してきたが、その頃からTOEICが激しい宣伝攻勢により勢いを増してきた。その流れを察知し、授業では表向きTOEICのスコアアップを目指した。と言っても学生はTOEICのことを誰も知らない時代だった。そこで、同僚の先生に支えられながら東京のTOEIC本部と連絡を取り、様々交渉の上、その大学を新潟県初の受験会場とし、私は新潟県のTOEIC試験運営責任者となった。TOEICを目指させる以上、学生が受験できる機会を確保するのに必死だったと記憶している。

 ともすれば「資格英語」という科目名から、資格試験に特化した問題演習と考える人が多いかもしれないし、実際学生もそのつもりだったであろう。しかし私の考えとしては、TOEICでも英検でもどんな資格試験でも根本的な英語の基礎体力が不足していたら小手先のテクニックなどでは点数の向上は望めない。目指したのは基本的な英語力の向上を図るための授業だった。

 そのために私が選んだ手段を一言で分かりやすく表現すれば、“学生に気合いを入れること”。動機づけである。正直に言えば、僕は高校教師退職と共に、動機づけ研究とはおさらばするつもりでいた。久々に、大学院での研究テーマ復活か!と気合いを入れなおしていたのだが、前年度に行った学生の英語学習意識調査の結果、一点、動機づけへのフォーカスを継続することとなったのだ。 

学生が自身の英語力向上を他力に任せている実態を変えなければいけない!この人たち、やる気にさせれば相当に伸びる。そう確信した僕は、とにかく学生に気合を入れることを金科玉条に授業を開始した。この時の熱血教師具合は、現在の勤務大学での「優しい」僕を知る学生からは想像がつかないと思う。2013(東京経済大学赴任後)にゲスト講師として短期大学に久しぶりに呼ばれたことがある。その時に久しぶりに再会した熱血教師時代の教え子たちは、鬼から仏に変わった僕の変化に唖然としていた(笑)。

 僕はまず英語を教えるより先に生活習慣記録表を配った。そして「1週間の時間の使い方をここに書いてきて。勉強した時間も。」例えば自動車学校通学やアルバイト、テレビを見る時間などを記入させた。

 予定表を配る前、生徒たちは「忙しい」と言っていた。だが1週間後に時間の使い方を見てみると、そもそも勉強量が圧倒的に足りなかった。「忙しい」と言いながら、英語学習に充てることができる時間は実は有り余っていた。ただ、「余裕がある」ことを彼らは意識していなかっただけなのだ。

 英語の勉強はとても単純だ。できるようになりたければ量をこなす必要がある。ただそれだけなのだ。それなのに「忙しい」と言って取り組めないのであれば、もうやめたほうがいいのではないか。学費を払っている親にも申し訳なくないか。講義ではそんなことを真面目顔で語った(今思い返すと相当にエグイ教師だ)。

 「可能性がない人に僕は教えたくない。僕はやる気がある人だけを教える。」この言ったが心からそう思っていたわけではない。能力がある人たちに厳しくいうと、逆にやる気が高まるというのは正に彼女たちのことだった。結果、その指導法は目の前の学生たちに概してうまくハマった。

 赴任した数年後ごろからTOEICのスコアの平均点に著しい変化が現れ始めた。例えば、あるクラスでは入学時点では300点ほどだったスコアが1年間で平均点が300点程度上がって600点に到達するのが珍しい光景ではなくなった。

 もちろん、僕一人の成果ではない。学科の先生方の協力体制も抜群だし、教員と学生の距離が近かったことも功を奏した。

さらに、僕がTOEICの新潟責任者となっていたことも有利に働いた。指導する学生がアルバイトとして、本気で受験する社会人を目の当たりにする。おおいに刺激になったことだろう。

次第に学生の間でTOEIC受験をすることが当たり前になった。そして私は学生の許可を得てデータを管理していたので(学生による自己申告)、学生の学習状況とTOEICスコアの関連をかなり深く把握できるようになった。学生には毎日英語学習記録表を書かせ毎週提出させる。それを毎週チェックしコメントをして返すことをひたすら続けた。これはかなり過酷な作業であったが、この作業のおかげで指導力が格段に上がったと思っている。今でもSNS上で多くの教え子たちと繋がり連絡が取り合えているのは、この地道な作業の副次効果とも言える。

 もう一つの大きな出来事は先にも書いた通り、CALL教室導入に奔走したことである。 赴任当初のLL教室は各学生の机に備え付けのテープで課題音声をダビングしていた。しかし機器が古くかったためテープが頻繁に絡まるのだ。絡まるとその分の人の録音がなくなってしまう。100人の授業では10人は設備の不備のため録音ができなかった。端的に言えば使い物にならなかった。

 赴任して一年も経たない頃、LL教室の問題多発に辟易していたある日、その年から事務局長として赴任された方となぜか気が合い、酒を飲みに行くようになった。とてもよい方で現場の声に耳を傾けてくれた。私がCALL教室の愚痴をもらすと、ある日突然事務局長室に呼ばれた。そして、「この間聞いた話、県庁の担当者にしっかりと話せるのか」と強面の顔で聞かれ「もちろんです」と即答した。するとそのわずか二週間後、キャリア官僚として新潟県に出向している若手課長がLL教室に登場したのである。30分ほど実態観察をし教室を後にした、そしてさらにわずか2週間後には「LL教室改良プロジェクト」(約1億円)として、LL教室を全くの最新鋭の設備に改修する動きが始まったのである。それまで何年言い続けてもかなわなかったLL教室改善要望。キャリア官僚の影響力の姿を目の当たりにした。

 LL教室の担当者として短期大学に着任してわずかな期間で、あれよあれよという間に話が進み、「CALL教室設立プロジェクト」のたった1人の担当者に任命された。

 経験不足の私にとって、流石にあれは荷が重い任務であった。椅子の配置やら必要な機材やらソフトの見積書やら、いくつもの業者とのやり取りを1人で進めるのだ。事務局長からは、「こちらはできることをやったのだから、成果を期待します。」とプレッシャーをかけられた。

 あまりの膨大なタスクを背負わされた僕は、ひとりぼっちで暴風の中に迷い込んでしまったかのように感じられた。ある日、つらい気持ちが限界を迎えて、恩師である米山先生に相談に行った。すると「1億円ももらえる研究者はあまりいないと思うよ」と諭された。まさに発想の転換だった。

 東京の業者のもとに訪れて新しいLL教室で使う機材を選定したり、学会に行って最新の英語学習について理解を深めたりする毎日が続いた。僕1人だけではなく、学生も一緒に機材や教材の使用テストに協力してくれた。

 その設備をフル活用しての、「学生の1年で300点アップ」だった。何しろ使う機材の選定から椅子の配置までほぼ全て僕が立案したのだ。まるで自分の庭のように使い勝手が良かった。

 ちなみに、そのCALL教室は全国的にも最新の機能を備えていると評判になり、そこを舞台とした学生とのプロジェクトは、各業者にとって宣伝の好材料であった。私は英語教育関連業者の宣伝資料に頻繁に取り上げられるようになり、活動紹介のために全国を回らせていただいた。

 ただし、誤解してほしくないのだが、CALL教室やそこに備えた設備イコール、学生の英語力が向上では決してないことである。英語力が上がったのは、その設備を上手く利用しながら学生が必死に努力したからなのだ。当時、あの設備を与えられたので上手く活用したが、仮に与えられなかったとしても、おそらく他の手段で動機づけ手法を用いて同様の成果を実現していたと思う。実践を発表させていただく機会を与えてくださったことに感謝する一方で、「〇〇教材を使ってTOEIC〇〇点アップ」という単純化には強い違和感を覚えた。事前チェックをする機会もないままそのような宣伝が流布されて目の色変えて抗議をしていた当時が今となっては懐かしい。

 高校教員・短大での実践を通じて確信したこと。それは、当たり前のことであるが、英語の授業で、英語を教えるだけでは不十分だということである。しかし一方で、大学教員が授業外の学生の学習に関与することの難しさも実感していた。例えば、学習記録表の毎週のチェックは、学生には好評であったが、他の業務との両立の観点では非現実的に近かった。

 全国各地の先生方とお話し合いをさせていただく中で、授業外で学習者の動機づけを維持する仕組みが学校教育の中に欠けていると考えるようになった。そこででてきた発想が、“英語学習アドバイザー”。授業外で英語学習をサポートする人材の育成である。そうこう言っている内に、気がつけば私は、某社の「英語学習アドバイザー制度」の起ち上げに関わるようになった。

 高校教諭時代を含め、ここまでの一連のことは以下書籍などにて成果発表した。

「動機づけを高める英語指導ストラテジー35」(ゾルタン・ドルニェイ著:米山朝二・関昭典訳, 2005.) 

0 件のコメント:

コメントを投稿