2020年5月24日日曜日

私の履歴書(番外編2)愛すべき英語科の学友たち

「ここは僕が来たかった大学ではない」。
地元新潟では「新潟大か東大か」とキラキラした目で見つめられる新潟大学だが、小学生の頃から「この山の向こうに行きたい」と越後山脈を睨め付け続けた僕にとって入学当初理想の大学ではなかった。しかし友人に恵まれた。卒業する頃には「新潟大学に来なければこんな素晴らしい友人たちと出会えなかった」と確信するまでに。

 浪人中に出会った太庸吉先生のおかげで英語の面白さに目覚めた僕は、英語だけはどこの入試問題でも解けるほど得意になっていた。しかし、2年次から3年間、“運命共同体”となった英語科のクラスメートや先輩方は、そんな僕より遥かに英語が出来た。得意科目すら勝てないなんて・・・2年で専門科目の学びが始まるとクラスメートのレベルの高さに茫然。さらに教員養成課程の学生らしく、元気で社交的。かつ真面目、論もたつ。“完璧”すぎた。
 しかも彼ら彼女らは、英語に限らずどの科目も高いレベルで出来た。息をするように猛烈に勉強するハイスペック同級生たちを横目に、大量の課題の山にどうしたらいいかわからず騒ぎまわっていた当時の僕は、彼らの目には実に滑稽に見えたであろう。
 今思えば、あの集団での生活は、新たな「異文化」への大挑戦だった。

 何せ1年次、入学以来、週に2コマしか授業に出席しなかった僕は、単位を取得するために彼らの多大なサポートを受けた。「関くん大丈夫?」「分からない問題ない?」と、まさにおんぶに抱っこで介護状態。2年生に上がる頃には、彼らに頭が上がらなかった。現役で大学に入った同級生が多い教育学部英語科では同級生は年下が多かったが、いつの間にか僕は年上の“いじられキャラ”と化していた。勉強面でお世話になっているお返しに、過酷な環境でも明るい雰囲気作りに努め、教授からの怒られ役も買ってでた。その結果、ハイスペック集団の中でも私なりの存在感を確立することができた。同級生が教授への不満があると、「関君しっかり伝えてね。」

 また、僕にとって初めての「『勉強がよくできる人』しかいない空間」。それまで競争の少ない田舎で生きてきた僕にとって、新しい世界であった。

山のような課題に追われながらも、私たちは3年間膨大な時間を共に過ごし語り尽くした。大概は他愛もないふざけた話題であったが、時には世界的な話題についても議論を深めた。彼らはどんな話題にも乗ってきてくれた。例えば、僕が図書館で借りたアパルトヘイト関連の書籍を読んでいたとき。
「へえ、関君も真面目な本読むことあるんだねぇ。」というイジリから始まりつつ、気が付けば夜明けまで人種隔離政策やネルソン・マンデラについて語り合った。他にも南京大虐殺、731部隊、東西冷戦、湾岸戦争。どんなテーマでも真剣に議論に乗ってくれたため気持ちよかった。

ちなみに、僕自身の経験値を、時代も環境も異なる今の学生に求めるのは筋違いかもしれないが、もし仮に学生から「理想の学生集団」を問われたら、間違いなく当時僕が共に過ごした彼らを思い浮かべるであろう。

卒業後、彼らはは世界で広く活躍することになる。多くが新潟の英語教育界を牽引しているが、他にもNHKラジオ講座の講師、大学教授、国連機関職員、一流の編集者などなど・・・。1学年11人しかいないのに、錚々たるメンバー。

卒業式の最中、僕は過去を振り返っていた。
僕が新潟大学に来たのは考えれば考えるほど偶然だった。
「新潟から脱出したい!東京に行くんだ!」の一心から、推薦入試を受けようとした高校3年生。→評定平均が0.1足りなかったため断念。
海外に興味があるあまり“国際”という学部名だけで某M学院大学に入学金を払い込んだ一浪時。→超予想外の新潟大学合格&母の涙で(無念の)新潟大学進学決意。
夢だった東京への大学進学まであと一歩“というところまで近づいたことは何度もある。その度に奇跡的な偶然で僕は越後山脈の内側に閉じ込められ続けてきた。(詳細は、「私の履歴書#5 浪人生」に記載。)
もし・・・あの時、運命の歯車がほんの少し食い違っていたら、あの最高の新潟大学の学友たちとの掛け合いは経験できなかったろう。「大学進学時はハズレくじと思っていた選択が、結果として最高の選択だった」。胸に湧き上がる想いとともに、卒業証書を握り締めた。

 最後に。お世話になったある教授からかけられた言葉で「番外編2」を締めたい。
このブログの読者は“新潟大学”の部分を自分の所属する大学や組織に当てはめて聞いてほしい。今の若い世代にとっても未だ力を持ち得る言葉だと思う。

「新潟大学は地方の国立大学である。ここにいる多くの人たちは、新潟の教員になるかもしれない。その場合活躍できるチャンスは多い。
しかし、一度新潟を出て広い世界に挑戦しようと思った途端に、この大学の名前はあなたたちのことを一気に守ってくれなくなる。例えば、東京では新潟大学の名前を出しても誰も振り向いてくれない。新潟で育ったあなたたちは、まだその現実がいまいち腑に落ちないかもしれない。(実際に当時の僕はよくわからなかった)
自分の学歴を過信するな。
これから一流になろうと思ったら、必ず学歴の壁にあたる。この学歴の“おかげで助けられる”のではなく、この学歴“しかない”せいで、不利な状況に陥ることもあるかもしれない。その時のためにも実力をつけろ。学歴社会で勝ち抜くためには実力をつけろ。努力を怠らず、唯一無二の存在になれ。そしてチャンスを逃すな。
誰にでもチャンスは一度や二度は来る。
その時に、鍵となるのは準備ができているかどうかだ。めぐってきたチャンスは準備ができていた人が掴み取って、準備ができていない人は口を開けてそれを茫然と見送るだけだ。そもそも、“今がチャンスだ”と気付かない人がほとんどだ。世の中の9割以上という説もある。」

 なぜかその言葉は、僕の頭の片隅でチリチリと燻り続けるようになる。そして、その後、僕の人生は、その言葉通りの展開で現在に至ることとなる。それはまたあとの話だ。

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