2020年8月2日日曜日

関昭典教授 私の履歴書#12(大学専任教員内定)


 高校教師生活6年目を迎えていた。通常新卒教員は初任校5年で転勤するのが当時の原則、しかし当時の勤務校の諸事情により例外的に6年目を迎えていた(と校長から聞かされていた)。ちなみに当時の職場での担当業務は英語科のまとめ役、山岳部顧問、そして生徒指導部。深夜と早朝は密かに読書と論文書き。加えて当時3歳だった長男の子育て。守秘義務もあるので詳細は省くが心身ともに限界に近い生活を送っていた気がする。

今風に言えば“過労死ライン”を超える‟異常“な暮らしを支えたのは、豪雪地帯で備えた忍耐力、中高の部活で備えた体力、そして子どもの頃から親に言われ続けてきた”人と違うことをやれ”という教訓であったと振り返って思う。定期的に発熱して馴染みのお医者さんを夜間に点滴をしてもらいながら踏ん張った。それでも“自分には努力が足りない。もっとやらなければ”とかなりストイックな思考で日々を過ごしていたことを覚えている。
 
 一生忘れない日のことを記す。

5月のある日の放課後。来たる運動会に向けて私はグラウンドでジャージ姿で生徒と共に練習に励んでいた。すると校内放送が流れてきた。
「関先生、お電話が入っておりますので、事務室までお知らせください。」
(当時は携帯電話などなく、このような校内放送が頻繁に流れた。)

 私は駆け足で校内に戻り電話に出た。  

 「〇〇大学の〇〇と申します。先日は本学の教員ポストにご応募いただきありがとうございました。一時書類選考に合格したので早速面接を行いたいと考えております。」

 勤務校から僅か200メートル先にある大学からの面接通知連絡であった。驚いた。実は私はこの大学の教員公募情報を見つけ応募していたのである。ただし、応募時点で合格することなどほとんど期待していなかった(大学の専任教員になるのは至難の業である)。

 「早速なのですが、本日、ご勤務終了後にこちらにお越しくださることは可能でしょうか。」

 「え、今日?!」

 「ええと、あの、実は私は今日、ジャージ姿で出勤していますので、もし本日となりますと、ジャージ姿でしか伺えないのですがそのような無礼はお許しいただけるのでしょうか。」

「はい、構いません。」
電話の向こうの女性は極めて冷静だ。

電話を終えても、何のことだか訳がわからず、とりあえず雨交じりのグラウンドに戻り、運動会の練習を続けた。そして夜8時前、泥まみれのジャージ姿で大学に向かった。すぐ近くなので車で数分で到着した。

指定された部屋に向かってビックリ! 何と、採用面接だった。目の前には4名の大学教授たち。しかし私は泥まみれのジャージ姿。あの滑稽な光景が映像資料に残っていないのが残念だが、私の脳裏には焼き付いている。

何の心の準備のない中での採用面接だけに緊張する暇もなく質問に素直に答えていく。あっという間に時間が過ぎていった。一時間程度だったと思う。

面接の最後に電話をくださった主任教授の口から私の人生を大きく変える一言が発せされた。

「我々としましては関先生を専任講師として採用する方向で検討に入りたいと考えております。」

私は体も心も固まってしまい、身動きが取れずコトバも発することができなくなってしまった。

「ありがとうございます。失礼いたします。」

静かに挨拶をして大学を出て車に乗り込んだ。自宅までの40分間のドライブ。頭が真っ白で何も考えられず、途中で路肩に車を止めて頭を整理するしかなかった。

大学の教員「公募」を知る人々には、私のこの日の経験が如何に稀なケースであるかお判りいただけると思う。

その約1か月後の6月下旬に正式な内定通知が届いた。採用月日81日。すぐに勤務校の校長先生に事実を伝えた。年度途中の退職、学校を大混乱させてしまったが、私の人生の大きな転機となった。

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